死臭

衣服はスケッチブックではないしオブジェになりえないのかもしれない
意味が充満しすぎている
「意味の地勢図」


一方でそれを記号に回収するのもあまりに無惨だ
自らを拘束し貧困化するだけだろう


代理表象としては機能しない
そして内的に記号の再生産を繰り返すのかもしれない


なぜ衣服かという問題
それをコトバやロジックに回収したいのではない
whyという疑問詞がそもそも不適切かもしれない


答えがあるかなんて知らない
これは動機の問題ではない
貪欲に探求すべき対象としてある
それ自体が動機なのか



いや、それはそれで自己解決のロジックだろう
そんなに美しくはないのだ



既に純粋に好きだなどと言えなくなってしまった
わからないのだ
それこそあまりに無惨だがそれでも取り組む自分がいる
ないものをめがけてやっているのだ


本当は?


どちらかといえば死にたくないからやっているのかもしれない
もしかしたら感情も執念もそこにあるからやっているのかもしれない