artist/scientist

科学者は秩序を望む
芸術家は混沌を願う


ある意味において。


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広告会社のこれからの敵はGoogleだという。だがGoogleと戦っては広告会社に未来はない。Googleは最高の知見とパースペクティブを持ち(私はGoogle信者だ)、最高水準の分析・秩序化システムを作り出ための人的資本投資に躍起になっている。
Googleの広告システムは研究資金のファイナンスでしかない。彼らのやっていることは資本主義的価値増殖活動ではなく、科学者の営みだ。

広告会社は、CRM、あるいはパーソナライズドされたマーケティングにおいて彼らと競合することになるだろうが、同じ土俵で戦ってはならない。マーケティングだ、データマイニングだなどといって、例えば統計的分析システムのブラックボックスに数値を放り込むようになったら広告会社は終わりだ。Amazonのリコメンド機能のような広告を作るようになれば、広告会社に存在価値はない。
それは人間がコンピュータと戦うようなものだ。
人間には人間臭さが必要なのだ。


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そもそも生活者の個化などというのは幻想であろう。“あちら側”から“最適化”された情報が提供されることによって、ミクロにもマクロにも一極集中化が進展するという議論がある。“最適化”のアルゴリズムが本質的に「過去の他人との類似」というプログラムを持っている。システムは、大量の統計的情報を“有意に”秩序化することによって人間の嗜好・性質に汲み取るしかない、それゆえ本質的に人々を大衆としてみなしているのだ。


あらゆる情報・知的リソースがインターネット上に蓄積され、それらが“最適化”プラットフォームを介して提供されることになれば、この現象は間違いなく進むだろう。情報との接触のプラットフォームがGoogle検索窓になることで、意志決定はせいぜい“分衆”の従事者としての決定にすぎない虚しいものとなる


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コンピュータに創造はできない
人間には、創造の力がある


そう信じているのだ


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広告は科学者でなければならない。但し、決して科学者であってはならない、ある意味において。
広告は決して芸術家であってはならない。但し、芸術家でなければならない、ある意味において。


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広告の存在価値などそもそもとして脆弱なものだ。


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それはよしとして、体重が累積的不均衡を起こしていることが、一番の問題だ。